ザンビア

HIV/AIDS対策の現状と新たな問題

Photograph: Hokuto Nakata
Photograph: Hokuto Nakata

1996年のUNAIDS(Joint United Nations Programme on HIV/AIDS)発足以来、約20年に渡って国際社会はHIV/AIDS対策を積極的に進めてきた。2002年には「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」が創設され、その流れはさらに加速した。最近になって潮目が変わってきた感もあるが、少なくとも国際協力あるいは国際保健医療の世界においてHIV/AIDS対策は近年の大きな”トレンド”の一つである。

そのHIV/AIDSが最も深刻となっている地域が南部アフリカである。私が現在生活するザンビアも例外ではなく、保健分野に日頃から関わっている身としては、非常に身近かつ喫緊の課題である。

今回はそうしたHIV/AIDSを取り巻く世界の状況を、ザンビアでの実例を交えながら紹介する。前半ではHIV/AIDSについての基本的事項、後半では世界が抱える問題について触れる。

 

HIVの疫学

HIV陽性者は世界で3700万人とされている。総人口を73億人とすると、地球上の人間の約0.5%、200人に1人の割合でHIVに感染していることになる。

数十年前まではなかった病気が現在これほどまでに広がっていること自体大いに驚きだが、アフリカの現状はそれよりひどい。HIV感染率の国別ランキングでは、上位24カ国を全てアフリカ諸国が占める。さらに言えば上位9カ国は全て南部アフリカの国々であり、1位スワジランドに至っては27.7%、4人に1人以上の割合でHIVに感染していることになる。南部アフリカに位置するザンビアは、他国の例に漏れず12.4%で7位にランクインしてしまっている。

HIVの新規感染者は世界で毎年約200万人、死亡者は120万人とされている。抗HIV薬へのアクセスが容易になったことで死亡者が減少し(未だ多いが)、死亡者数より新規感染者数が非常に多くなっている。つまり、HIV感染者数は年々増え続けている。後から触れるが、これは将来に渡って非常に危惧されるべき事実である。

 

ザンビアのHIV/AIDS事情と関連ドナー

ザンビアにおける死因の第1位はHIV/AIDSである。2012年には死因の4分の1がHIV/AIDS関連疾患によって占められ、実に約36,000人が亡くなっている。人口あたりのHIV/AIDS死亡者数は2000年と比較して約3分の1にまで減少しており、他国と同様に抗HIV薬の普及で状況は改善傾向にある。一方で、死因の2位と3位にランクインする呼吸器疾患とマラリアによる死亡者数はそれぞれ約1万人。HIV/AIDSの3分の1以下である。このことから、HIV/AIDSがどれだけこの国において大きな問題を引き起こしているかが理解して頂けるかと思う。

しかし冒頭で述べたようにHIV/AIDSが世界の援助の”トレンド”であり、かつアフリカ南部のザンビアが”ホット”な地域ということで、UNAIDSをはじめとしてHIV/AIDS関連のドナーは多く、その援助額も非常に大きい。そのおかげもあり、ザンビア国内のHIV/AIDSを取り巻く状況は、他の疾患のそれと比較して非常に良い。検査キットや抗HIV薬は末端の一次医療施設まで概ね十分に行き渡っている。

 

HIV/AIDS治療の現状

現在ではいくつかの抗HIV薬が開発されており、それらの併用がHIVに対して非常に有効である。だが、それら抗HIV薬は決して体内のHIVを完全に死滅させるわけではない。ウイルスの活動を抑制し、進行を防ぐだけである。言い換えれば、HIV/AIDSはコントロールできる病気にはなったが、未だ”治す”ことはできない。つまり、HIV/AIDS患者は抗HIV薬を一生飲み続けなければならない。

 

HIV/AIDSの新たな問題

以上がHIV/AIDSを取り巻く基本的な現状である。続いて、問題点にフォーカスしていく。

援助の偏り

上述の通り、HIV/AIDSに重点を置いた援助を行うドナーが多い。裏を返せば、他の疾患や一般衛生に対する援助は比して劣っているとも言える。

実際、ザンビアの医療現場においてHIV検査キットや抗HIV薬が数多く並ぶ一方で、他の簡単な薬や機材、試薬が不足するという事態は至る所で見受けられる。医学的、社会的、経済的など多くの側面から見て、HIV/AIDSは確かに最重要課題の一つである。しかし、その傍らで他の基礎的な要因が十分に満たされない現状は、少なからず再考する余地があるように思われる。少なくとも、多くの援助を集めるHIV/AIDSすらも現状は良好とは言えず、以下のような問題点を抱えている。

高額な医療費

1つ目。HIV/AIDS治療は非常に高額である。

薬の種類にもよるが、抗HIV薬をまともに飲むと患者1人あたり年間数万円~数十万円の薬代がかかる。近年ではジェネリック薬が広く利用可能になったが(これに関しても多くの問題があるが)、それでも数千円はかかる。日本のように医療保険制度がある程度整った先進国であればまだしも、多くの場合は途上国の人々がこれだけの薬代を自ら捻出するのは不可能である。そのため、ザンビアを含めたそうした地域では、政府あるいは海外ドナーがその予算を負担している場合が多い。

ザンビアにおいては、高度医療を除いて基本的な医療は全て無償化されている。医療の無償化というと聞こえはいいが、実際には財源不足による人手不足や薬品不足が頻発している。

(これなら、多少なりとも医療費を徴収してサービスを充実させた方がよっぽど良いと思うことは多々あるし、実際の現場レベルでは登録料や寄付などの形で少なからずお金を徴収している場合がほとんどである)

しかし、抗HIV薬が不足することはほとんどない。多くの援助がHIV/AIDSに集中しているためである。上述したように抗HIV薬は非常に高額であるが、他方、多くの途上国において死因の最上位を占めるマラリアや肺炎、下痢症などは数十~数百円程度で治せてしまうものが多く、ワクチンなどによる予防の場合はさらに安価である。言い換えれば、安価な薬や医療にアクセスできないために亡くなってしまう人が非常に多いのが実情である。

高額な抗HIV薬が充足する反面、他の基本的な医療品が足りないという状況には、少なからず違和感を感じざるを得ない。

一生涯続く治療

2つ目。HIV/AIDS治療は一生続く。

現状ではHIV/AIDSを完治させることはできない。薬にアクセスできたからと言って患者が治るわけではなく、一生服薬を続けなければならない。

『HIVの疫学』の項で触れたが、HIV/AIDS患者は年々増え続けている。国際社会はHIV/AIDSの新規感染防止に躍起になっているが、何が効果的なアプローチかという点については未だ議論が残るところであり、一部の地域を除いて新規感染例を劇的に減少させることはできていない。既存のHIV/AIDS患者の完治、そして新規感染予防における大幅な改善が達成されない限り、HIV/AIDS患者数は今後も際限なく増えていく。つまり、医療費も無限に増え続ける。

危機意識の低下

3つ目、HIV/AIDSに対する危機意識の低下。

繰り返しになるが、現代においてHIV/AIDSは死なない病気になった。多くの援助の甲斐もあり、ザンビアの例のように限りなくゼロに近い負担で治療にアクセスできる場合もある。直接的な生命のリスクといった観点からすれば、HIV/AIDSのリスクが大幅に下がったのは事実である(HIV/AIDSは決して医学的側面だけで語れるものではなく、社会的スティグマ(恥辱)、差別、偏見など多くの社会的要因も関わってくるが)。しかしその結果、HIV/AIDSに対する危機感が低下するという好ましくない状況が起きている。

ザンビアにおいても未避妊の性行為が増えたり、あるいは売春などの性産業も増えているように思われる。多くの途上国においてFamily Planning(家族計画)は重要な開発課題の一つであるが、未避妊の性行為は当然ながら望まない妊娠に繋がりうる。性産業の拡大も懸念されるべきことではあるが、HIVに感染しても死なずに済み、かつ治療費も無料となれば、今日や明日の生計を立てるための性産業への従事が貧困層の間で増えるのは自然なことなのであろう。

不治の病であったHIV/AIDSに対する多剤併用療法の有効性が示されて約20年。人間は”医学的”にHIVと共存できるようになった。それと並行して、HIV患者が”社会的”にも生きていけるように、多くの人がスティグマ、差別、偏見と戦ってきた。こうした事実は本来であれば大きな前進であったはずが、非常に残念ながら、いつの間にか新たな問題へと繋がってしまっている。

迫り来る脅威

4つ目。耐性株の出現と新薬開発の停滞

HIV/AIDS治療薬のコストダウンあるいは無料化は、(社会要因により薬へアクセスできないケースは未だ多く残るが)

経済状況を問わず広く多くの人々の薬へのアクセスを可能にした。このプロセス自体はもちろん大いに価値あるものであるが、その反面、”薬そのものの価値”は下がることになった。結果として、大きく2つの状況が新しく生まれている。

一つは、薬を適当に飲む人数の絶対数が増えたということ。数種類の薬を毎日、生涯に渡って飲み続けるというのは当然患者にとって大きな負担であり面倒である。よって、服用を時々忘れたり、途中で服用をやめてしまう人は常に一定の割合で存在する。単純に薬にアクセスできる人が増えたということは、それに伴って服用が適切に行われないケースも増える。

もう一つは、薬が無料でもらえてしまうことでそのありがたみが薄れてしまい、服用が適切に行われない割合すらも増えてしまうということ。もっと悪い場合、無料でもらった薬を、薬が無料ではない地域で転売して生活費を稼ぐといったことが起こる。幸いにして抗HIV薬でこのケースは未だ聞いたことがないが、発熱を訴えるだけで何の検査もなく抗マラリア薬が無料で配布されていた地域ではこうした事例が発生しており、抗HIV薬においても類似の状況は起こり得る。

HIVに限った話ではないが、このような不適切な薬の服用は耐性株の出現に繋がる。長い年月と開発費を費やしてようやく完成した既存の抗HIV薬が仮に効かなくなると、現在のHIV/AIDS対策は大きな見直しを強いられることになる。

また、抗HIVのジェネリック薬が現在既に出回っており、これが抗HIV薬を無料化できる大きな要因の一つである。しかしこのジェネリック薬の流通に至るプロセスは、他のジェネリック薬とは大きく異なるものであった。詳細はここでは割愛したいが、新薬の開発というのは数十億円規模(あるいはそれ以上)の莫大な資金がかかる。この開発費用を回収し製薬会社の利権を守るために、20年間は特許期間としてジェネリック薬の製造は原則できないことになっている。

しかし、HIVの場合はその社会的影響の大きさと、貧困層への感染拡大などを背景として、国際社会で大きなムーブメントが起こり、結果として非常に早い段階でジェネリック医薬品が出回ることになった。そのため多くの患者が薬にアクセスできるようになった反面、製薬会社は開発費用を十分に回収することができなかった。こうした歴史的背景もあり、仮に新たな抗HIV薬を作ったとしても開発費用が回収できないことが予想されるため、現在ではHIVの新薬開発には多くの製薬会社が消極的にならざるを得ない状況である。

つまり、既存の抗HIV薬が効かない耐性株の出現リスクが非常に高まっているにも関わらず、それに代わる新薬が開発される見込み、さらにはそれが開発後すぐに安価な価格で出回る見込みは非常に低いのである。これはHIV/AIDSが現場において潜在的に抱える最も大きな問題の一つかもしれない。

 

個人のケアと集団の予防

HIV/AIDSに対する国際社会の積極的な取り組みとその成果、一方で患者が未だ増え続けている現場と将来見込まれる危機、さらにはHIV/AIDSに限らず他の疾患等への取り組みにも影響を与えうる懸念について書いてきた。

HIV/AIDS対策は確実に前進している。しかし、その裏で新たな問題が生まれてきているのも事実。従来の戦略だけでは、近い将来HIV/AIDS対策は完全に破綻してしまう。考えたくないことではあるが、仮に既存の抗HIV薬に対する耐性株が拡大し、増え続けるHIV/AIDS関連予算が限界を超え、製薬会社も新薬を作らない、といった事態が生じた場合、HIV/AIDSを取り巻く状況は過去最悪の展開を迎えるであろう。

これは現在のHIV/AIDS対策への批判ではない。HIV/AIDSが我々にもたらす社会的負担の大きさを強調しているのでもない。私がここで述べているのは、個人の健康を守ることと、集団の健康を守ることは分けて考える必要があり、現時点においてはその両者の達成度の間に大きな差があるということである。HIV/AIDS患者個人の健康を守ることは可能になったが、他方、集団の健康を(予防的に)守ることが困難になりつつあり、このままでは今後の展望も決して明るくはない。国際社会がHIV/AIDSに注視する裏では、他の基本的疾患へのケアが疎かとなっていないかということも常に考えなければならない。

多額の資金投入と、バラマキとも言える薬の無料化が進められてきたHIV/AIDS対策。一時的な状況の好転こそ見られたものの、問題の本質的な解決にはまだ程遠く、さらに我々は新たな問題にも直面している。

 

Hokuto’s Blogより転載

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