国際

制裁は無意味な政治ゲームに過ぎないのか?

国際的な制裁の中にはあくまでも政治的動機に基づき、その法的根拠が怪しいものがある。政府の役割は人々の福利厚生・生活・希望を保障することである。政府はこれを脅かす者、たとえば製造日や原材料の表記を偽った食品製造業者に制裁を科すが、国際社会について見ると、(多くの場合)先進国や政治大国がまとまって「国際的安全保障への脅威」に対してこれを煽った国の経済活動や投資に制裁を行う。こうした制裁は現在の国際社会秩序を支持し、これの恩恵を被っている人々を守るためのものである。

一国の政府が国内の組織に対して科す制裁はその実施を国内法に依拠するが、国際的制裁はたいてい国連安全保障理事会(安保理)によって行われ、これは国際法を順守したものと見なされる。しかし、安保理常任理事国(米国・英国・フランス・ロシア・中国)間で一致が見られない場合、またはある常任理事国が別の常任理事国に制裁を科したい場合は、東ウクライナ紛争に対して米国とEUがロシアに行ったような単独制裁が科される。こうした制裁はいささか政治的であり、法的根拠が疑わしい。

他の端的な例として、1990年のクウェート侵攻によるイラクへの制裁が挙げられる。米国と英国はサダム・フセイン政権を崩壊させるために制裁を強く主張した。しかし、同政権は制裁の影響をほとんど受けず、そのしわ寄せは一般市民に及び、疾病や飢餓により亡くなった100万人を含む数百万人の生命が奪われた。空爆は上下水道等の基盤的インフラへの破壊を伴い、多くの人々が安全な水へのアクセスを失った。医療保健システムも悪化し、基礎的な薬品すら入手できなくなったために母子を含む人々の死亡率が劇的に高まった。1999年のユニセフのデータによると、1991年から1998年の間に50万人もの5歳未満児の死亡が防げたはずであった。また、制裁の影響で必須医薬品や食料・燃料の輸入が減少し、輸出も滞り、経済が打撃を受けて、貧困が増大し、格差が拡大した。

そして、2003年には大量破壊兵器開発疑惑をもって米国がイラクに侵攻したが、これには法的根拠がなかった。これにより確かな数字は不明であるものの、(これより少ないとの指摘もあるが少なくとも50万人の生命が奪われ、人々の悲しみと苦しみは深まった。

このようにイラクでは制裁によって罰せられたのは一般市民であった。制裁を受ける国々の人々は富や資源の恣意的な不公平配分に苦しめられる(本来、このような状態が存在していたが、制裁によってそれが促進されるということも起こる)。援助が必要となっても、金融制裁のために資金送金が困難ないし不可能となる。北朝鮮担当の国連高官によると、援助物資にかかる許可を得ることとこれにかかる時間が支援を滞らせ、政治的圧力がドナーの資金拠出を鈍らせるとのことである。

制裁はまた援助関係者の受益者へのアクセスを困難ないし不可能にする。私達は効果的に援助を届けるためによりしたたかに戦略的にならねばならない。制裁によって人々の苦難は深まり、彼らはより脆弱な立場に置かれてしまう。

では、すべての制裁は単なる政治的ゲームなのか?いや、人々の生命を奪い、多大な身体的・精神的傷害を与えるものは禁止されるべきだ。たとえば、非人道性の権化である武器・兵器である。

主要関連企業による兵器・軍事サービスの販売総額は2015年に3,707億ドルを記録したこの額は2017年時点、世界31位であるイスラエルのGDP総額に匹敵し経済協力開発機構の2016年時点の開発援助予算額の2.5倍に相当する。販売された武器はイエメンでの紛争のような代理戦争で使用されている。この紛争の主要当事者であるサウジアラビアは2013年から2017年までの間、世界で2番目の兵器輸入国であり、その金額は2008年から2012年までの間に比して2.25倍となっている米国や欧州諸国はうち98%を提供している

すべての武器・兵器は禁輸されるべきだ。これを実現させようとする最たるものは2017年7月7日に採択された核兵器禁止条約である。世界で最初で唯一の核攻撃を受けた国の人間として、この賢明で人道的な動きを強く支持する。

人道援助従事者として私はすべての制裁に反対であるわけではない。武器・兵器禁輸、核兵器の禁止は人々の犠牲・破壊・憎悪、そして最悪な場合の世界の終わりを防ぐために必要だ。また、制裁はアパルトヘイトを終わらせるのに有効な役割を果たした。しかし、半面、制裁は政治的恣意性やプロパガンダによって行われ、人々が被害者となることにも警戒せねばならない。たとえば、かつて駐在したミャンマーでは軍事政権が制裁を受けている下、基礎的医療ケアにアクセスできない数多くの人々を目にした。こうした人々の犠牲の上で政権はびくともしないように見えた。現在の民主主義導入の譲歩など、当時は想像すらできなかった。

人々は政治ゲームの陰で苦しむ。こうした人々に駆けつけるのが最優先で、私達は強い信念と戦略・知見・技術をもって制裁を受けた政府や及び腰になっているドナーを越えて、苦しんでいる人々と連帯しようとしている人々の支援を勝ち取らねばならない。

この記事はFair Observerに掲載されたものです。

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