ラオス

近代化の波に飲み込まれつつあるビエンチャン

Photograph: Ippei Tsuruga

東南アジアレポート 9-ビエンチャンのJICafe

2007年11月13日 Vientiane (Laos)

時々、「どうして今東南アジアを歩き回っているのだろう」と考えることがある。8ヶ月いたニュージーランドを去る日が近づいた2ヶ月前からこの旅の計画は頭にあった。当初、NICEという団体が斡旋するワークキャンプに行って、東南アジアの農村でボランティアをすることも考えた。しかし、あいにく僕の都合と興味の両方を満足させてくれるプログラムはなく、その計画は頓挫した。次に浮かんだのが今回の一人旅である。一人旅とはいっても、僕にとってはある種の就職活動でもあった。そこで開発に携わって働いている人が何を思い、どうやって仕事しているのか。そこに興味があった。

大学2年の夏に、思い切って参加したNGOで、「国際協力」というものを初めて知った。そこでの活動を通じて、たくさんの途上国開発関係者に会う機会を得られたことは幸運以外の何物でもなかったと、正直に思う。実際、そのときに知り合った方がラオスに転勤になったため、急遽ラオスへ来ることを決めた経緯がある。彼と話をし、少しでも自分の歩むべき道をはっきりさせたいというのが本音である。その約束が明日だ。

2ヶ月前からメールでのやり取りを通じて、時間などを調整してもらった。もちろん、待ち合わせの場所も聞き、連絡先も知っていた。ただ、何しろ始めての国で、英語もほとんど通じないのだから、そこへ辿り着くのもまた大変なわけである。そういうわけで、今日は下見に行くことにしていた。

朝食のグリーンカレーをたいらげ、まずはJICafeへ向かった。ラオス国内で活動している日本のNGOが協力して作ったカフェがメコン川のほとりにある。ここには国際協力団体のパンフレットや関連情報がたくさんある。だから、そこへ行けば今回の待ち合わせ場所もわかるだろうと踏んでいた。

しかし、なかなかうまくはいかないもので、地図のようなものはまるで手に入らず仕舞いだった。ただ、いろいろなパンフレットや雑誌を読みながらエスプレッソを飲み、かなり良い時間を過ごすことができた。また、面白かったのが、JICafeで働いているスタッフは皆ラオス人である一方、内装はどこか日本人好みな感じで、寒いくらいクーラーの効いた店内はいかにも「日本人」の仕事を連想させた。

結局そこでは「場所」に関する情報を得ることはできなかった。仕方ないので、歩きながら自力で探すことにした。住所は知っていたし、ある程度の位置関係は地図を見ればわかる。仮にわからなかったとしても、よい観光になると思っていた。昼前の日差しはどんどん強くなってゆき、歩けど歩けど目的地は見えてこない。それでもひたすら歩いた。30度をゆうに超える炎天下では、1リットルの水はすぐに無くなった。まさに命の水である。身をもって水の大切さを体験した。「これが無ければ本当に死ぬ」と、この時思った。そして、あろうことか辿り着いた先は空港だった。さすがにその時は途方にくれた。「よい観光」どころの騒ぎではない。1時間以上歩き続けてわかったことは、道を間違えたことだったのだから。

もと来た道をまた歩いて引き返すことを考えると、さすがに辛いものがあった。地図によれば、空港から市街地までは6kmあるとのこと。マラソンを走りきったオリンピック選手が「自分で自分を褒めてあげたい」と言った気持ちが理解できた。だけれども、これ以上は歩けない。それまで無視し続けていたTukTukのドライバーに、このときばかりはすがり付こうと思っていた。TukTukを捕まえるために、市街地へ向かって歩き始めた。

郊外のこの地域まで来ると、観光客狙いのインチキ運転手はあまりいない。ラオス人相手に客を探す地元ドライバーは僕に声ひとつ掛けず、追い越してゆく。「乗らないか?」と聞かれれば、「安くしてくれるか?」と交渉しやすいが、「乗せてくれ」と頼んでおいて「安くしろ」とはなかなか言い難い。だからその時は背中から声を掛けられるのを待ちながら歩いていた。しかし、15分が経過しても一台も止まってくれなかった。もう限界だった。止まっていたTukTukの運転手に英語で書かれた住所を見せる。英語で「この場所を知っていますか?」と尋ねるが、彼はしかめ面をしている。そして首を横に振った。直感で「彼は英語が読めないのだろう」と思った。行き先を発音して見せた。彼は「知っている」と答えた。そこから値段交渉に入ったものの、彼は英語を理解しない。ラオス語はほとんどわからないが、挨拶と数字くらいは勉強していたのが役に立った。

走り始めたTukTukの後部座席から見るビエンチャンはまた少し違う趣を見せていた。近代化の波に飲み込まれつつあるこの地域にも、お坊さんが歩いていたり、寺院があったりする。ピカピカの車に乗る人々がいる一方で、TukTukに子供を詰め込めるだけ詰め込んで市場へ買出しに行くお母さん達もいる。どこの国へ行っても金持ちとそうでない人々の差は見えてくるものだ。ただ、この国は社会主義体制をとっているためか、人々はそれ程金儲けに必死ではなく、勧誘や呼び込みもカンボジア程うるさくは無かった。

ドライバーは結局正確な場所を知らず、僕が後部座席から、「ここだ!」と言って止めてもらった。場所を確認し、ゲストハウスに戻り、シャワーを浴びた。

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