国際

開発でも2つの視点を

Bale

前回は社会、経済分析と異なる視点として倫理的なアプローチを紹介した。最後に、このアプローチは開発事業で実務的にどのような意味があるのか考えていこう。

これまで見てきたような、異なった倫理観によるかみ合わない論争は、食料貿易だけに限った話ではなく、農業開発、農村開発、または開発事業全般にも当てはまることだ。

例えば、伝統的な品種を伝統的な方法で栽培している地域を想定してみよう。そこに、農業の近代化を通じて農業生産性向上を図りたい政府が援助事業として開発計画を作ることになった。外国から来るコンサルタントは自然環境調査やマーケット調査を通じて地域を分類し、集めたデータと他国の技術を元に、それぞれに最も適切だと思われる農業形態を提案する。しかしながら、農業生産性向上という目的に沿ったすばらしい計画が策定されても、農家団体から大きな反対にあってしまった。

なぜか。

農家はそんな計画の話は聞いていない、自分たちはこれまでの農業を続けたいと主張する。政府は、この計画を実施すれば、生産性があがり農家は豊かになると説明する。それでも農家は納得せず、政府は生産性があがるのになぜ反対する理由があるのか理解出来ない。

Herbこの場合、農家は外国人が自分たちの考えを取り入れずに仕上げていった計画策定の「プロセス(自分たちの声が無視されている)」に抗議しているのであり、政府が生産性向上という「成果(これだけ収穫量が増える)」をいくら説明しても不満は解消されない。それぞれの正当性の主張の裏にある倫理がすれ違っている限り、いくら話し合いをしても合意するのは難しい。この状況で成果(収穫量の増加)を強調することは何の説得力を持たないからだ。

農家が主張するように本当にこれからもずっと変わりたくないと考えているかはわからない。生活を豊かにしたいと思うのは誰もが持つ自然な思いだ。ただ、「プロセス」の段階で意思決定に参加出来ないことで、「成果」について話し合う準備が出来なくなってしまったと考えるべきだろう。こうなってしまうと、いくら事業がよい成果を生む可能性があっても、プロセスが改善されないうちはその内容について話し合いすら出来なくなってしまう。結果として、それぞれが「成果」と「プロセス」という別々の観点から主張し合うため、お互いがお互いのことを全く相手の話を聞かない、と責め合うようになってしまった。これはある途上国で実際に起こっている問題で、現在もまだ解決の糸口は見えていない。

このような「成果」と「プロセス」のすれ違いは農業の開発計画だけでなくインフラ開発、都市開発、農村開発など他の開発分野でも起こり得る。このすれ違いを避け納得感のあるプロセスを踏んでいくためには、行政と住民の間で圧倒的に権力と情報量に差があることを行政側が認識し、意識的にその差を調整する(Rebalance)配慮を行いつつ、関係者が重視している価値を事業に反映させる仕組みが必要となる。

Path in the Field2015年の開発の世界での大きな話題と言えば持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)が設定されたことだろう。この国際社会によるコミットメントの中には2030年までの飢餓と貧困の撲滅も含まれている。ただ、目標を達成するかどうかだけではなく、どのようにそこに到達するのか、についてもよく考えて取り組んでいく必要がある。あらゆるステークホルダーが納得出来る開発事業を行うためには、成果と同様に、時にはそれ以上にプロセスが重要な場合もあり得るからだ。

プロセスを置き去りにしないためには、開発関係者は飢餓・貧困の撲滅の主役は飢えている者、貧しい人々であり、目指す成果もプロセスもそれぞれの国、地域によって異なる、ということを忘れてはいけない。開発課題の当事者が開発の主役となれるような参加型の制度だったプロセスをそれぞれのプロジェクトの中で確立することが、「成果」から見ても「プロセス」から見ても正当だと思える開発事業の実施のためには必要となってくるだろう。ステークホルダー間で納得感のあるプロセスを作り上げていくための「参加」や「コンサルテーション」を通じた事業の当事者の声を事業に反映させるツールは既に多く提案、活用されている。開発事業関係者にとって、プロセスの問題は決して精神論的な課題ではなく、今後より技術的課題として取り組んでいくことが求められてくるだろう。

 

 

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