ソマリア, バングラデシュ, ラオス

海外ドナーによる開発援助と被援助国の自助努力は両立し得るのか?

Photograph: Hokuto Nakata
Photograph: Hokuto Nakata

開発の成果とは何か?

数年前に私が開発分野に関わり始めた頃、とあるNGOの座談会でこんな話を聞いた。

そのNGOの代表を務める女性は、ラオスの農村部で数年に渡って保健衛生に関わる活動をしてきた。自ら農村部の中に住み、住民とできるだけ同じ目線を、できるだけ同じ生活レベルを心掛けながら、数年の時間を費やしてきた。その結果少しずつ目に見えるような成果が出てきて、プロジェクトも軌道に乗ってきた。

余裕が出てきたこともあり、これまで対象としてきた村だけではなく周辺の村々などにも目を向けてみた。自分の関わってきた村とそれ以外の村を比較することで、この数年間の成果がよりクリアに見えることを少なからず期待しながら。

しかし、実際に感じたことは全く逆のものだった。

自分の村と比較して、確かに他の村は衛生環境が悪く、下痢などの病気も多い。彼女の活動は確かに実を結んでいた。だが、そうした衛生環境の整わない村であっても、村は当然成り立っているし、それなりのサイクルが回っている。疾病罹患率や乳幼児死亡率が高くとも、村が全滅するわけではない。彼らは彼らなりの工夫をしながら、日々の生活を確かに送っている。

他の村の環境がもっと酷い状態であることを期待していたというと語弊があるのだろうが、「思いの外そんなに違わない」と彼女は感じてしまった。自分が数年かけて尽力してきたことに、どれだけの価値があるのかが分からなくなった。

開発や保健医療といった学問的な理論を通じて言えば、彼女が行ったことは間違いなくその村に成果をもたらしたのだろうし、住民にとっても意味あるものだったはずである。だが、数年の時間を費やしてきた彼女が期待していた満足感は、そうした一義的な学問的理論からは得られなかったのかもしれない。末端のフィールドレベルで多くの時間と経験を住民と共有してきた彼女が語るその”無力感”には、大きな説得力があった。

 

援助に頼ることができないソマリランドの自助努力

この話を思い出すことになったのは、昨年3月にアフリカ東部のソマリランドを訪れた時だった。

日程や予算の問題でソマリランドに滞在したのはわずか3日間、隣国エチオピアにトンボ帰りしてしまったが、その3日間で見たこと・聞いたことは大きな驚きであり、ラオスの彼女の”無力感”を後押ししてしまうようなものだった。

ソマリランド共和国。1991年にソマリアからの分離・再独立を宣言。憲法や議会などを持ち、独立国家として完全な能力を有していると言われながら、日本やアフリカ連合を含む国際社会は未だに独立国として承認しておらず、ソマリアの一部と見なされている。(この背景としては、多くのアフリカ諸国が自国内に抱える民族独立運動の好例を与えてしまうことで運動が活性化することを恐れていることが一つ。詳細は割愛。)

国家として承認されていないため、ソマリランドは国際社会からの援助を全く受けられていない。天然資源は埋蔵が確認されているらしいが、現状では採掘には取りかかることができていない。特にこれといった産業もなく、畜産などの一次産業が中心。

そんな国だから、国の内情はさぞかし酷いんだろうと思って入国したが、首都に着いてまず驚いたのは街がすごく綺麗。写真のようにゴミは全然無く、インフラも良い、運転マナーも良好。

多くのソマリランド人と話してまた驚いたのは、彼らの自国に対する誇り。単なる愛国心といった類のものではなく、自分たちの手でこの国を作り上げてきたという強烈な自負を持っている。だから道端にゴミを捨てることもなく、街中は当然綺麗に保たれる。

私が今まで訪れた多くの途上国では、自国政府に対する不満を持つ人が多かった。政府が悪いから、政府がやってくれないから。そんな言葉をよく聞く。しかしソマリランドではそんな言葉は一度も聞かなかった。政府と国民が一枚岩になって前に進んでいる、そんな印象だった。

他国の援助に頼ることができない分、自分たちでやるしかない。自らの手で、自らのペースで、独立から20年余りをかけて安定したインフラ、汚職のない警察・軍、そしてゆっくりではあるが確実な経済成長を成し遂げてきた。それがソマリランドという国なのだと感じた。

 

“援助漬け”にされたバングラデシュの苦悩

それに対して、私が最近まで過ごしたバングラデシュのことを思い返してみる。

バングラデシュには多くの海外ドナーが入り込み、急速な経済成長が進んでいる。世界有数の”援助漬け”国とされるこの国では、売り手(ドナー)の数が余りに多すぎることで売り手(ドナー)同士が競合してしまい、買い手(バングラデシュ政府)が売り手を選択できる、といった状況も実際に生まれている。そうした開発援助がこの国の発展に寄与しているのは事実だが、一方で開発という言葉の裏では国際社会の色んな思惑が渦巻いているのも事実。日系を含む海外企業も多数進出しており、多くのバングラ人が使い捨ての労働力として消費されている。警察も軍も、多くの政府機関でも汚職が後を絶たない。

バングラデシュ人も国内の多くの問題を認識はしているものの、「ここはバングラだからしょうがない」の一言で済ましてしまう。何かトラブルがあれば、政府(あるいは神様)のせいにしてしまう。私自身バングラデシュで活動する中で、「自分たちのせいじゃない」「誰かがそのうちどうにかしてくれる」といった類の考えが、多くのバングラデシュ人の根底に渦巻いていることを強く感じた。

私がここで強調しておきたいのは、決して彼らバングラデシュ人が悪いと言っているのではなく、そりゃそうなるでしょうよ、ということ。海外からやって来たよく分からない人たちが、自分たちで頑張ろうとするよりずっと早いスピードで、よく分からないけどとりあえず良い感じのことをしてくれる。自国の経済レベルや成長スピードを大きく超えた”援助”が大量に流れ込んでくれば、政治家や警察だって道を誤るだろうし、国民一人一人も自分達以外の何かに期待したくなる。

 

開発における国際社会の介入の功罪

ラオスとソマリランド、バングラデシュの話。これらが共通して私に問いかけてくるのは「開発における国際社会の介入の功罪」。

私達が良かれと思ってやることは、大きなお世話になってないのだろうか。確実な成果があったとしても、果たしてその成果はそもそも必要なものなのだろうか。一見して良い成果を生んでいるように見えて、その裏でそれ以上の問題を生んでいないだろうか。

自助努力という言葉がこの業界で市民権を得て久しい。「自助努力を促し、それに沿う形で必要な支援を行う」というのが基本的な開発援助のあるべき姿だと私は理解しているが、一方でそれが如何に難しいことか。

また、開発援助の多くがドナー側の政治的・経済的な見返りを見込んで行われることを考えれば、その難しさはさらに大きなものになるだろう。あるいはそれが仮に完全な慈善事業としての開発援助であったとしても、援助が入った時点で少なからず自助努力は妨げられてしまうのではないか。

今の開発援助の在り方を否定するつもりは毛頭ないし、自助努力という言葉に必要以上に執着するつもりもない。ただ、こういった疑問を常に持つことで、開発援助のもたらす功罪の両面を学び、そのバランス感覚を磨くことは必要であろう。

国の発展はその国の国民が担うべき。そんな当たり前のことが、何よりも難しいのかもしれない。

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